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更新日令和4(2022)年2月25日

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【195号】「鼻喰い田」を探せ

快晴の令和4年2月7日、手賀沼を散策してみました。
手賀沼自然ふれあい緑道は<ランナー・歩行者優先道路>と<自転車専用道>が、9.4km並行して走っていますが、その中でも数か所、道が分かれているところがあります。
その一つがヒドリ橋を東に200mあたりで、大きく分かれています。

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並行していた道が、一旦左右に分かれます。右側は<ランナー・歩行者優先道>です。
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少し歩いていくと、大きな鉄塔と松林が現れてきます。緑道の中では唯一の松林です。
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青空に大きな鉄塔が映えています。青・白・赤のコントラストがいいですね。
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この松林の中に何やら大きな石碑があります。正面が手賀沼側を向いているのと、<ランナー・歩行者優先道>側には背を向けているため、ややもすると気が付きません。それと少し距離がありますから。
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近寄ってみました。なんだか鼻の形をしています。「鼻喰い田」と書かれています。
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こんなことが書かれていました。碑文を読んでみましょう。柏むかしばなしのようです。
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『昔、大井に追華城(補足:現在は追花(おっけ)という地区があります)
という小さな城がありました。
ある時大津川を挟んだ対岸の戸張城と戦になりました。
時の追華城主は坂巻若狭守、対する戸張方の大将は戸張彈正。
大井勢が劣勢となり、彈正が追華の城山まで登ってきました。
そして、両将の一騎打ちとなり、組み合いながら下の田んぼに落ちて行きました。
田んぼの泥の中で苦しさのあまり、相手の鼻に喰いついたことから、
この田んぼを「鼻喰い田」と呼ぶようになったそうです。
今日では、鼻喰い田の付近には住宅が建ち並んでいます。』
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この道は緑道ヒドリ橋から大津川左岸を上流に向かって舗装された幅2mくらいの遊歩道です。
戸張城と追華城(以後、追花城といいます)を見つけに、そして「鼻喰い田」はどこにあるのか。探検です。
大津川の大津川橋あたりから右手に東京都文京区立柏学園の建物が見えてきます。 これが<戸張城址>です。

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戸張城は、手賀沼に注ぐ大津川の谷津に南西から北東に突き出た、細長い舌状台地の先端部に位置しているそうで。台地は平坦で、標高は19m前後、周辺の低地面の標高は4m前後です。ちょうど国道16号の柏トンネルの上の台地東側にあります。
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これのあたりが戸張城址です。

一方、もう一つの<追華(追花)城址>はどこにあるのでしょう?
ちょうど戸張城址と大津川を挟んで対面に小高い丘があります。多分これがそうでしょう。
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標高20m。追花(おっけ)城は、大津川が柏市塚崎の北で手賀沼へ注ぐ、河口に近い(上流から見て)右岸台地上にあったそうです。城址の規模は、東西250m、南北200mと推定されるそうですが、宅地化が進み、遺構はほとんど見当たりません。
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柏市大井妙照寺下の正面あたり、座間養魚場上の鉄塔あたりがその場所になるようです。近くまで行ってみました。
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遺構を見つけることはできませんでした。涙。
ということで<戸張城址>と<追華(追花)城址>を見つけました。

先ほどの碑文にあったように。
『 ・・・大井(追花城)勢が劣勢となり、(戸張城)彈正が追華の城山まで登ってきました。
そして 両将の一騎打ちとなり、組み合いながら下の田んぼに落ちて行きました。
田んぼの泥の中で苦しむあまり、相手の鼻に喰いついたことから、この田んぼを「鼻喰い田」と呼ぶようになったそうです。』
ということで、
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このあたりが「鼻喰い田」ではないかと思います。見つけました見つけました。このあたりは大井新田。これから「はなくいだ」と呼ぶことにします。(笑)。

柏むかしばなしの場所を探すのも楽しいものですね。次回はどこにしようかな。

最後に、ヒドリ橋情報をどうぞ。
橋の欄干にこんな注意書きがありましたよ。

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ヒドリ橋と言えば<河津桜>! 今週末から少しづつ春が近づいてくるとか。
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「春よ来い早く来い」ですよね。
それでは今回はこの辺で。
次回は令和4年3月4日、春情報をお伝えできればと思ってます。

【令和4年(2022年)2月25日掲載】
 

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執筆者:kuma3(くまさん) 千葉県柏市在住。

柏市南部、主にカシワニの棲む手賀沼を中心として自然の魅力をぐる~っと紹介していきます。カシワニの棲むあなたの知らない柏の魅力を新発見!